東京というひんやりした街
東京は、久しぶりに帰ってくると
つめたくて、ひんやりした対応の店員さんたちがとても心地よかった。
そう、これが東京という街
冷たさは、意外と優しさだと思う。
つめたくて、相手が誰でも関係ないという態度は、ある意味でどんな人でも受け入れるという、優しさだと思う。
あたしは、東京には、無関心を装うという優しさがあると思う。決して、本当に興味がないのではなく、あくまで
装い
久しぶりに地元の電車に乗ったら
車内アナウンスは変わってた。
「押し合わず、声を掛け合って」
声を掛け合って、そう言われなくちゃ声を出せないくらい
声が出せない街なんだ。
あたしは、いくら東京の郊外で育ったとはいえ、渋谷の駅でも迷ったりしないで乗り換えできるし
整列乗車はできる。
田舎のコンビニはどこか違う。
まだ、生温くてあったかいところがある気がする。
東京という街はいつだって、見て見ぬふりを強要される。
そうじゃないと生きていけないから
ただ見ているだけと、見て見ぬふりは違う。
あたしは、その辺でばったりであった人と
ちょっとくらい話せるくらいの方が気が楽。
時々、駅で
激昂している人々はきっと
自分のスペースが足りなくてその不足感を職場でも、家庭でも、どこにも見いだせない
悲しみ
その横を何食わぬ顔で、通りすぎなければいけない
人々も、意外と辛いよね
ふしぎな街
誰かの悲しみを見ても、見ないふり
誰かの苦しみを聞いても、聞こえないふり
装い
知らない人に、挨拶はしない
微妙に知っている人は、気がつかなかった振りをして避けて通る
それが、ふつう
無視という、優しさ