表現方法
色んな事してたと思うし、それは全部いい経験だったけど
今の仕事をする上で、やっぱり黙っていないといけないことっていうのもあると思った。
自分自身はひとつも隠すつもりもないけど
でも、立ち回りって言うのは大切になってくる。
将来、自分が管理者になりたいって思ったときに、ちょっと遊んでたっていうことくらいは全然気にならないことだと思うんだけど、それがしっかりと文章でこんなことをしていたって残っていて、それをやっぱり、第三者が見たときに
どきりとすることなんだと思う。
このブログに書いたことも、すこし編集して過去を整理していけたらいいなって思う。パパ活とかはっきり書いちゃうと迷惑をかけちゃうけど
お世話になった人とか表現を変えるだけで全然、受け取る安心感が変わってくる。
過去を消したくない、過去があっての地続きの自分ではある。
でも、今の自分にふさわしくないものは、なくてもいい。
非公開にすればいいんだってわかってるんだけどね。
嘘はつかないし、本当のことなんだけど、表現方法っていうのは、大事だよね。
パパ活をしていた理由
私は、いわゆるパパ活をしてたんだと思う。
パパ活をしましょうって始めたわけではなかったけど、そういう結果になった。
仕事関係で知り合った人と、ごはんに行くようになり
そこで、恋人関係になるわでもなく、本当に親戚のようにたまにご飯に行ってはごちそうしてもらうという関係が5年ほど続いた。頻度もまちまちで半年に1回だったり、3ヶ月に1回だったり、特に決まってなかったし普通の友達と変わらない感じ。
30を過ぎたころから私は旅をしながら働いたり、仕事が安定しないことが多くなって相手方がおこづかいをくれるようになった。
東京に戻ったり、地方へ行ったりしてた。
けど、いよいよ高山に移住する。という話をしたくらいから、高額なものを頂くようになった。最初は3万円、次が15万円。
これで終わりだと思ってた。
送り出してもらった、そう思って頂いたからなんの違和感も自分にはなかったし
純粋にうれしかった。
買ってもらったあと、秋葉原の夜景がほんとうにキレイに見えて今でも鮮明に思い出せる。うきうきしてキラキラしてた。
高山へ移住してからは、東京にいたパパと会うこともなくなった。
1回きりのプレゼントをもらったつもりでいた。
けどそこから高山へ移住した3年間、全額で100万近く貢いでいただくことになった。
そういうつもりはなかったけど、お金に困ってたから続けてた。結果、パパ活という言葉がぴったりとあてはまってきた。
note
noteもいいなって思って、久しぶりにログインしたんだけど
ひとつの記事しか3年前に書いてないのに、
「noteをはじめて3周年記念!」バッジ取得!
って出てきて、ん、、、これは違和感かも。って思った。
発信
やっぱりどこかで発信していきたいと思うんだけど、
いまはまだその文章を書く気力がなかったりあったりしてる。
何かしらのSNSをやりたい!
けど、このブログの最初のテーマじゃもうないなって思う。
普通にこだわること自体が自分軸がない
私のこのブログのテーマってふつうに暮らしていくことに照準を当ててて、自分が普通でごくありふれた人間だってことを証明したかったけど
自分にとっての普通が、他人にとっての普通ではないし
そもそも普通にこだわることじたいが、自分の軸を信じていない気がした。
自分らしく生きる、そこには、普通とか普遍的なことは一切関係ないし
じゃあ、誰が普通なんですかっていう責める気持ちもない
このブログは、自分がありふれた無価値な人間でありながら葛藤することを綴っていく目的で描いてた。
無価値な自分に価値を感じてた
自分自身を無価値だなんて、今は思えないし
そもそも価値のないものなんて存在してない。
書き始めは30歳前後の広島からはじまった。
それから6年たって
私は、強くなった。
自分自身のやることに、価値を感じているし
自分の選択すべてに「yes」と思える。
間違ってイライラしても、それがどうしてなんだろうと自分を信じて知ろうとする。
だからこそ、自分のSNSやブログ全体の発信を見てみて、
無価値な自分に価値を置いてたんだなってことを感じたし
もう、今はそういう自分でいたくないし、いないんだろうなって推測できる。
普通なんてない
36歳の誕生日
今までとやっていることは、何一つ変わってないけど
確かな成長を感じてる。
自分の足で生きていけるって確信が、静かにある感じ。
パパ活もやめた
なにもかも、続いてきたものをリセットした気がしてる。
強い意志をもってやめられた。
少しずつ、書き残していきたい。
東京に戻ってきた
旅をした、恋をした、そして戻ってきた。
不思議なもので、もう高山に戻りたいという気持ちはひとつもなくて
どこかに行きたいとかそういう気持ちはほとんどない。
私は、どこにいても自分らしく生きていけるっていう
確信が生まれてる。