フツウのふ

ふーん

もうすぐ移住2年

ま、まだ来月なんだけども

 

どうするかなんて決められない

 今後どうするかこのまま住み続けるのかわからない。それが正直な気持ち。

ゲームを中心の生活をすることを目標に去年一年間、行動してきてそれは十分にできたと思う。

そうしているうちに、私は一人はやっぱりさみしいんじゃないかっていう想いを持ったりしてる。でも、自分が何かひとつのことを見つめるって言うのはすごく難しい人だって言うことも知ってる。

気楽な方がいい。

でも、浅いところじゃ味わいきれないなにかを知りたいと思うようになった。

難しく考えすぎなのかもしれないけど
何かを知りたい、その好奇心がねわいてきている。

移住したことが全然関係ないように思う生活をしてる。

ゲームなんてどこでもそれこそできるし
東京にいてもできたと思う。でも、東京にいたら私はほかのことにも興味をもっていたと思う。

やっぱりどこかやることがないからこそゲームを楽しめている気がしてる。
冬は特に寒くてどこかに行く気が起きない。

今の自分がしたいこと

今住んでいる地域でお友達を作っていこうと思っているし、なんか急におしゃれをして外に出たい気持ちになってきたっていうのがある。

田舎だしおしゃれしなくてもいいやって1年間ユニクロ最高って気分でいたけど
今はそれが変わってきてる。

人って変わるからいいんだよね。

 

疑問

大学は社会福祉学科に入って、分野を決めるとき
なんとなくご縁のあった知的障がいの分野を選んだ。

 

児童の分野は虐待に関する仕事というイメージがつよかったけど
今思えば、乳児院とかいろんな選択肢もあったなって。

 

高齢者はなんとんく自分には向いてなさそうだって
そういう意味で身体障がいの介助メインもなんとなく向いてない

そんな気がして

なんとなく知的障がいの施設で働き始めた。

 

一度は、この仕事がいやだったり、一般的な会社を知らずに働くことに疑問がわいて
オフィスワークなんかもしたりしたけど

 

結局おととしくらいから、またご縁があって福祉の分野に戻った。

友達が子育てをするようになって、子育てってすごく大変だなっていうことを体感して
子どもを自分は産まないけれど、何かお手伝いできることはないかなって感じで

児童の分野に足を踏み入れた。

んで、発達障がいとか知的障がいと児童が重なるところで今働いてる。

 

これがきっと、対象年齢があがれば、今度は高齢者分野と重なる部分になっていくんだろうね。

 

子どもの分野は複雑だって思う。
これに教育という観点もきっとのってきて

 

子どもからみた世界はどんな感じなんだろう。

急にやる気がでてきた気がする

去年の春、高山に移住してから忙しかったり暇だったり
お金がなかったり、仕事ですごく傷ついたりして

体力的にも精神的にも金銭的にもぎりぎりでいいし
ゆっくりのんびり省エネで活動するのが、正解だって思ってた。

お金より時間がほしい、という生活を実現することができたし
ゲームをたくさんして楽しい毎日を過ごしてる。

 

でも、たぶんなんか今までの自分とは違うなって
バイタリティーがなくて、生きてるような死んでるような気分がしてた。

好きなものに向かって命の全部を注ぐような
生き急ぐ感じが自分らしいと思う。

 

長く見守ってくれる人は、声やしゃべり方が変わらないから
落ち込んでるわけじゃなさそうって言われてたから

すごい落ち込んでたとか元気がないとかじゃないんだけど

たぶん、徐行運転をして様子を見てたのかもしれないし

 

年を重ねると傷つくのがこわくなるなんていうけど、私はあてはまらないなんて息巻いてたけど

その通りかもしれない。

 

傷つくことがあっても、傷つくことにも正直慣れもあって立ち直りも早いけど
どこかであきらめたり、納得したりできるようになるし

たしかにそれが安全で平和で健全な選択肢だったりする。

 

安全と探索を繰り返していきたい。

 

探索に行けるような準備ができたような気がしてる。

気づいたら令和

最近やたらと、モノをなくしたり、落としたり壊れたりするので

メンテナンスの時期なのかな~~~~

 

 

だらだら過ごすことが唯一の楽しみであるし
なんともいえません。

 

ふむ、貯金ぜろで、移住した。
でも、これをすごいことだと思ったことなんて一度もなかったけど
もしかしたら幸運なことだったなと

 

結局すべては過ぎ去ってから気が付くことなんですね。

 

令和

パパ活

自分は、世にいうパパ活をしているんだなって最近思うようになりました。

お金の援助を受けるけど、男女の関係では一切ない。

これが世にいうパパ活

 

でもこれも、こういう名前が付く前からずっとあったような気がするし
実際に、特に問題ないというかなんというか。

たまたま、いいパパに出会ったからそういうだけかもしれないけど

 

なんか生き方っていろいろだし、自分は受け入れられるけど
からしたら気持ち悪く映ることもあるかもしれない。

30代半ばを迎えて人生にはいろんな生き方があって、それを
いいとかわるいとか簡単なものでは切り崩せないんだけど

その中でも、一応に正義らしきものがあってそれをなんとなく
見たり見なかったり、見せたり隠したりしながら生きていくというかなんというか

不思議ですね。

 

ひとつ思ったことは、人のことにかかわっている時間なんかないってことだなって思いました。

パパ活をしている人にも、している人なりの理由があり、
私には私の理由がある。

先日、人の言葉遣いについて、それは差別用語だからできれば使わないでほしいと
お願いをしたけど

そんなこと、どうだっていいんだなってなんか思っちゃいました。

人のことは自分には関係ないですね。

不倫ってなんで?

移住について、まとめたいと思いつつ
なんにもまとめていないけど

生き方や人生についても、人との出会いの中で
考えさせられることがありました。

 

不倫というキーワード

 

私が、それをしたわけではなく
なぜこんなに不倫ということが、起きてしまうのか自分なりに考察できたからです。

若くして結婚する、30代になると、

自分の生き方が変化してくる、もしくは趣味趣向がはっきりしてくる

そのときに、それまでのライフスタイルでは見合わなくなってくる。

 

私自身が、例えば20代で結婚していたら移住も、移住地を探しながら暮らすことも、不可能だったかもしれません。もちろん、同じような考えをもっている人と出会っていたかもしれませんが。
私自身、30代になってから重い腰をあげて移住に取り組みました。

価値観が変わったというよりは、もともと正社員で働くのが正しいとか年収が高いほうがいいとか20代で結婚したほうがいいとか子ども産んだ方がいいとか、押し付けられていた価値観から
自分自身の価値観を信じられるようになった時に、その変化は大きく起こりました。

 

そういう時に、起こりえることなんだと思いました。
けど、それが、ただの一時で終わってゆくものなのか、自分の内なる願望に向かうものなのかは人それぞれだと思います。

 

愛人になる人もいる。
私はいかなる関係も否定したくないです。
肯定するつもりはないですが、そういうときも、生きている間にはあってもいいんじゃないのかなとおもうんです。

 

でも、それをするということは、

人を裏切る行為であることには間違いないかもしれません。

 

特に、昔は縁談で決まったが、ほかに好きな人がいたというケースもあったと思います。
傍から見ている分には、なんとも思わなかったことでした。
会社でそれを目撃しても、友人がそうであっても
でも、自分自身にその誘いがきたときに
私は、自分の中にある

夫婦とはなにか。結婚とは何かという考えをしていくことになりました。

 

そういうことを考えていく中で、事実婚というのは現実的かつ合理的な仕組みだと思うし。

いくつで結婚するからいいとか。そいういものはひとつもなく

自分が望んだライフスタイルで生きていくことのほうがずっと価値があるんだと感じることができました。

パートナーがほしくないという宣言ではありませんが、30代という時間は
現代では、十分に遊び、十分に楽しめる時間になってきたということは私自身が一番感じています。

 

だから、不倫が起こりえる。

生活が変わるから、もしくは変えたいから。

 

そう、理解できるようになったことが大人になったなと思いました。

移住について久しぶりに書こうと思ったこと、人と生きていくってなんだろう

高山に移住しようと決意して、行動したのが2018年の今頃だと思います。
今年の4月の末であと一ヶ月で、高山に来て1年です。

あっという間だったし、この期間に仕事もいろいろ経てきた。

生活するためだけに選んだ仕事は退職した。
高山に移住したいと思っていたとき、なんの仕事がしたいかと自分に問うたとき
子供の仕事がしたいと思い立ち

その時調べた会社で働いている。

ご縁って言うか、そういうのってすごいと思う。

そこに行ってみたいという場所があると、本当にそこに行けるんだと思う。

紆余曲折したけれど、今の生活は、前の仕事がなければここにはたどり着けないし
全部がつながってるって思う。

 

正直に書きたいなって思ったことがもうひとつあって
これも去年の今頃からネットゲームを始めて

去年の年の瀬くらいに知り合ったある男性が長年付き合った彼女と別れたというので、かわいそうだなと思って
色々話を聞いたりしていました。年下の子だったし、私は25,6歳のときにうつ的な気持ちになったことがあるので、その歳っていうのはいろんなことを考えていく時期だと思い関わっていました。

でも既婚者だったんですね。

うそをついていたみたいなんです。
けど、そのあとも今までと変わらずに接しています。

けど、そこまでして、なにがしたいのかなっていうのがすごく気になって

結婚や夫婦、パートナーってなんなんだろうっていうのをすごく今考えています。

一緒に生活して、何をするんだろう?

同じ趣味である必要はないと思う。
同じことを楽しめるわけではないと思う。

好きだから一緒にいるんだろうか?なにを共有しているのか?

 

ゲームについては誰とやっても特に気にならないし、男性が多いし、別に楽しく遊べれば問題ありませんが、

とつぜんに一緒に映画を見ようと言われて
もちろん、時間が暇で軽い気持ちなんだっていうのはわかります。

私自身も、いい年齢に差し掛かって、とくにそういうことを特別に感じたりしませんが、ものすごい違和感でした。

もちろん、既婚者と恋愛映画をみる趣味はないと断っています。

 

そういうことって、自分のパートナーとすることではないのかな?
そういう時間すら取れない、ってなんなんだろう

 

じゃあ、自分はどういう風に生きていきたいのかなとか

パートナーは必要なのかな?とか

そういうことを考えさせられています。

人と生きていくことってなんなんだろう

 

一緒に生活していればそれだけでパートナーなのか。
どんな生活をしていきたいのか

 

理想と現実は違うかもしれないけど

私の中でいま、一番大きなテーマです。